2012/03/16

当たり外れは不滅です

最近見なくなったこと、聞かなくなったこと

1980年代から90年代にかけて、日本車は品質もよくなり
故障も少なくなって、比較で当時目に付いたのは
外車がよく壊れることだった
特に痛車じゃなくてイタ車やフランス車は悪名高き存在だった

でも最近外車を買うので
「壊れて恐い」なんて話、聞かなくなったよね
ごく普通に、日本車と同じように安心して選べるようになった

私も1999年頃、恐る恐るフランス車の当時出たての
プジョ206を買ったことがあるが(正確には元カミさんの車)
いや、それはもうごく普通の日本車のように何も壊れず快適に走ってた
外車も進歩したのだなあ

日本車も1970~80年代頃までは品質があまりよくなく
隠語で「当たり外れ」なんて言葉もあった
そう、車の個体によって、たまたま調子よくできたマシンもあれば
外れて遅いマシンがあったとかなかったとか
「俺のマシン速え~、これ当たりだよ絶対」とか、そんな使われ方をした
でも最近そんな言葉、聞かなくなったよね
どれも全部均一に調子いいのだ

そもそも1950~60年代に開発された車は最終テストで必ず箱根でテストをして
「オーバーヒートせずに箱根を越えられるか?」なんて今となっては
笑い草のようなテストを真面目にしてたそうだ
箱根を越えると「すげー」という存在になった

事実うちの親父のS42年式(1967年式)オンボロコロナは
然別湖行く途中の峠でオーバーヒートした笑
親父が脇へ停めて「エンジン切らずにファン回してた方が冷えるんだ」
なんて言って当時小学5年生の俺に教えてくれてたっけ
いま峠でオーバーヒートするなんて、ないよね笑

コロナはハンドルの遊びも大きく、ごく普通に国道をまっすぐ走ってるのに
えらい左右にハンドルを親父がせわしなく切ってたのを覚えている
その気持ちは自分が免許取る年齢になって知り合いが中古の古い
初代RX-7(SA22C)を買って運転させてもらった時分かった
うわあ宙ブラリンじゃんこのハンドル笑
これが遊び大きいハンドルか

コロナの昭和40年代の時は、タイヤの性能も低く
ラジアルタイヤなんてなかったかな、バイアスタイヤで
酷暑で路面の温度が上がり過ぎるとそれだけで走行中タイヤがパンクしてた
事実一度真夏の北海道でかなり暑くなった日に
路肩でタイヤ交換をしている車が何台もいたのをこの目に記憶している

当時の映画トラック野郎でも、必ず最後ある時刻までにマドンナを遠くまで
運ばなければならない時、一番星がノンストップで爆走するシーンがあるんだけど
タイヤが熱持ってバーストしないよう、途中仲間たちが道路に水をまくんだよね
その上を一番星が走って、みんなありがとよーって目的地を目指す
そんなシーンがあった
けどいまどきそんなタイヤ、ないよね笑
タイヤも性能よくなったってことだ

対照的にまだ黎明期で実は品質が安定してないのが「LED」照明なんだ
これがまたその素子が出来上がるまでどの位の明るさに光るのか分からず
複数個並べて光らすとまだらに光るそう

これなんかもうのっけから「ばらつく」とあきらめてるもんね

だからばらつきができないよう、明る過ぎる素子には抵抗をかまして調整し
みんな均等の明るさにしてるらしいよ
明るさ33%もばらつくもんなんだ~

書いてあって、分かりやすい
熱を持つとどんどん抵抗になっていくんだよねえ
そうかLEDは直流に変換しないとならないのか、へぇ

LEDは、まだ当たり外れはある
三色アイス棒の当たり外れはうれしいが、LEDはうれしくない
まだまだこっちの世界は改善して楽しむ余地ありますな

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