2011/04/17

ナイトラン

土曜は寝坊してジムニー洗車後
GTR125で終了間際の新横浜プリンススケートへ
ここの常連さん達がご健在
すみませんまた夏の間お邪魔します

その後懐かしい道をたどり
若い頃毎週のように走りに行った本牧ふ頭へ
(懐かしむようになっちゃったよ)

本牧はあいつとララバイでもよく登場した
Z2を一躍有名にした楠みちはる氏の名作

その後勢い余って三浦半島一周の旅へ
80年代のゼロヨンのメッカ、南部市場

横須賀
初めて横須賀という名を知ったのは
北海道にいた頃流行ったこの歌

高2の時中型二輪免許を取って
友人がXJ400 YSP Editionを貸してくれて
初めてツーリングした懐かしの場所
まさにこの色↓
入札件数97・・すごい人気

当時の400ccは重厚長大路線
並列4気筒の巨大エンジンで
ナナハンと見まごう程の巨艦大砲時代
他にZ400GP、GSX400F、CBX400Fなど
事実上普通の人が乗れるバイクは400ccが上限だったため
ナナハンへの憧れがあったのだろう

↓写真は2000年10月24日V-MAXで通った時の

ここに黒船来航したのは、えーと1853年のこと
約160年前、まだ蒸気船だった
ガソリンや軽油の登場以前
そう考えると石油の歴史は浅い
僅か100年ちょっとのこと
それでもう石油がなくなっちゃう心配が出てきた
徒歩の時代が約5万年間
馬車の時代の約5千年間に比べたら
ほんとに一瞬のこと
次世代エネルギーの原子力もまたしかり

いつも警備が厳重です

江の島、稲村ケ崎
と言ったらやっぱりサザンオールスターズでしょう

・・とまあ原付(125cc)でも気楽にツーリングできたりする
下道の流れなら十分付いていけるし
距離走っても燃費いいので懐や気が楽
今日も通勤で使った後でもリッター45km走った
ちょっと距離もハッピーメーターなので
43km位かな
カタログ値の定地燃費と同等走るんだから
ある意味正確
国産自動車のいいかげんなカタログ値と比べたら・・

原付(50cc)は昔大人気だった
1982年頃ピークの年300万台近く売れてます
すみませんリンク↓

このブームを作ったのは
紛れもなくヤマハ・パッソル(1977~)だと思う

その後現在は年30万台位になっちゃったようですね
これは興味が薄れてしまったのだろうか
それもあるかもしれない
もしくはまだ日本に借金がなくて潤ってた時代だったからか
高度経済成長後の団塊の世代がちょうど若い頃で
原付が大いに購買対象になったか
今の若い子は就職もままならないのに
高いバイク買って遊んでる場合じゃないのか・・

まあもともと原付なんてあまり趣味で乗るものでなくて
(私を除く笑)
駅までの足とか実用目的で買うのが殆どだと思いますが
そう考えるとあまり流行りすたりとかないはずだが
新車が売れなくなった一つの要因はやはり保有台数の
増加だと思う
(ようはみんなに行き渡った)
短距離しか乗らないので結構長く持つし

バイクや車って劇的変化があまりないんだよね
例えば電化製品ならVHSからDVDやブルーレイに変わるとか
ブラウン管から液晶テレビに変わるとか
大きな変化があってみんな根こそぎ買い換えるけど
それに比べたらバイクや車って普遍的なんだよ
だから行き渡るとその後の販売が厳しくなる

その切り札が電気自動車や電動スクーターなのかもしれないね
全部置き換えを狙って・・

ある意味電気自動車や電動スクーターは
世の中の方向、環境問題のニーズに対応した製品
えーと仕事用語で言うとマーケットイン型の製品、のふりして
実はメーカの都合で全て置き換えたい
ある種プロダクトアウト型の製品なのかもしれないね

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