土曜は寝坊してジムニー洗車後
GTR125で終了間際の新横浜プリンススケートへ
ここの常連さん達がご健在
すみませんまた夏の間お邪魔します
その後懐かしい道をたどり
若い頃毎週のように走りに行った本牧ふ頭へ
(懐かしむようになっちゃったよ)
本牧はあいつとララバイでもよく登場した
Z2を一躍有名にした楠みちはる氏の名作
その後勢い余って三浦半島一周の旅へ
80年代のゼロヨンのメッカ、南部市場
今は八景島シーパラダイスで有名
横須賀
初めて横須賀という名を知ったのは
北海道にいた頃流行ったこの歌
高2の時中型二輪免許を取って
友人がXJ400 YSP Editionを貸してくれて
初めてツーリングした懐かしの場所
まさにこの色↓
入札件数97・・すごい人気
当時の400ccは重厚長大路線
並列4気筒の巨大エンジンで
ナナハンと見まごう程の巨艦大砲時代
他にZ400GP、GSX400F、CBX400Fなど
事実上普通の人が乗れるバイクは400ccが上限だったため
(免許制度参照)
ナナハンへの憧れがあったのだろう
↓写真は2000年10月24日V-MAXで通った時の
ここに黒船来航したのは、えーと1853年のこと
約160年前、まだ蒸気船だった
ガソリンや軽油の登場以前
そう考えると石油の歴史は浅い
僅か100年ちょっとのこと
それでもう石油がなくなっちゃう心配が出てきた
徒歩の時代が約5万年間
馬車の時代の約5千年間に比べたら
ほんとに一瞬のこと
(参考ブログ)
次世代エネルギーの原子力もまたしかり
いつも警備が厳重です
江の島、稲村ケ崎
と言ったらやっぱりサザンオールスターズでしょう
・・とまあ原付(125cc)でも気楽にツーリングできたりする
下道の流れなら十分付いていけるし
距離走っても燃費いいので懐や気が楽
なんたって横浜から甲府往復しても6リッター位で済むし
今日も通勤で使った後でもリッター45km走った
ちょっと距離もハッピーメーターなので
原付(50cc)は昔大人気だった
1982年頃ピークの年300万台近く売れてます
すみませんリンク↓
このブームを作ったのは
紛れもなくヤマハ・パッソル(1977~)だと思う
その後現在は年30万台位になっちゃったようですね
これは興味が薄れてしまったのだろうか
それもあるかもしれない
もしくはまだ日本に借金がなくて潤ってた時代だったからか
(グラフ参照)
高度経済成長後の団塊の世代がちょうど若い頃で
原付が大いに購買対象になったか
今の若い子は就職もままならないのに
高いバイク買って遊んでる場合じゃないのか・・
まあもともと原付なんてあまり趣味で乗るものでなくて
(私を除く笑)
駅までの足とか実用目的で買うのが殆どだと思いますが
そう考えるとあまり流行りすたりとかないはずだが
新車が売れなくなった一つの要因はやはり保有台数の
増加だと思う
(ようはみんなに行き渡った)
短距離しか乗らないので結構長く持つし
バイクや車って劇的変化があまりないんだよね
例えば電化製品ならVHSからDVDやブルーレイに変わるとか
ブラウン管から液晶テレビに変わるとか
大きな変化があってみんな根こそぎ買い換えるけど
それに比べたらバイクや車って普遍的なんだよ
だから行き渡るとその後の販売が厳しくなる
その切り札が電気自動車や電動スクーターなのかもしれないね
全部置き換えを狙って・・
ある意味電気自動車や電動スクーターは
世の中の方向、環境問題のニーズに対応した製品
えーと仕事用語で言うとマーケットイン型の製品、のふりして
実はメーカの都合で全て置き換えたい
ある種プロダクトアウト型の製品なのかもしれないね
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