2013/04/07

原付スクーターはここから始まった

日曜は朝神奈川スケートフィギュアレッスン

前日の大雨のせいで湿気がすごく
リンクの中が見えません!
これじゃ先生の体操が見えないよ笑
今日も基礎をみっちり教わりました

帰りホームセンターへ
シグナスX↓
トイレットペーパー買えるな笑

こいつぁ便利だ

足元がフラットだと便利なスクーター

そもそも日本のスクーターは
どのように発祥したのでしょう?

大昔のラビットなどの大型スクーターはさておき
原付の最初のスクーターは「ヤマハ・パッソル」(1977)だった

静岡県・磐田のヤマハ・ミュージアムより↓

それまではまたがって乗るカブを女性仕様にしたような
ラッタッタとか、ロードパルとか、マリックしかなかったが
Mr.マリックじゃないよ笑)
女性がスカートでも気兼ねなく乗れるこのパッソルは
大ヒットした

私が16歳で原付の免許を取った頃(1982)
このバイクが全盛で(なつかしー)
ヤンキーは皆パッソルだった笑
(私はホンダ・スカイだったけど)

YouTubeでパッソルで引っ掛けると
今でもいっぱい出てくるね

だははパッソルがいっぱい↓
http://www.youtube.com/watch?v=wJGicHE3OoY
いいよこれ

こっちはもうパッソルじゃありません!↓
http://www.youtube.com/watch?v=Ab8uqy_419Y

みんなアツいなあ~
こうやって盛り上げる人達いいねえ

まあパッソルもスカイも見るからに安物で
最高速も頑張って55位しか出なかったのですが
当時流行った改造は
「パッソルにJOG50のエンジンを積む」でした
俗に言う「パッジョグ」です
JOGは高級車だったからね、エンジンも優秀です
規制前の初期型はノーマルで70出たし
軽量のパッソルに積むとみんなウイリーしてました

当時はメットインなんて思いつきもしなかったので
そんなスペースはありません

考えてみればここから始まったんだねえ
日本の原付スクーター
スクーターと共に歩んできた私は、感慨深いです
(若い人には関係ないか)

その後ちょっと大きな「ジェンマ125」とか「リード125」が出て
時にはこんなふざけた「トレイシー125」(1983)なんてのも出ました
おお~映像あるよ↓
http://www.youtube.com/watch?v=is81U8GttDk
マイナー過ぎてウィキペディアでさえもシカトだけど笑
そうそう足踏み式のリヤブレーキなんだよなあ

このトレイシー125はね、一瞬所有してたけど、刺激的だった
エンジンは水冷の2スト(RZか!)
フロントカウルに収まった大型ラジエターがどう猛の証し
これには現代のシグナスX125もこれっぽっちもかないません笑

当時横浜新道が全線原付OKだったからね、これで
綱島の自宅から辻堂の学校まで横浜新道を爆走してました
つまり余裕で高速道路を走れる位のパフォーマンスはあった

実用的ではなかったです
遠乗りでリッター15kmしか走らなかったし
ガソリンタンクが確か7リッター位しかなかったので
片道30kmある学校へ行く時は毎回給油を余儀なくされた
一般的に新車も全然売れなくて中古を探すのも一苦労だった

今となっては懐かしいですよ
こんな常識外れのスクーター
今の時代じゃ絶対出ないだろうね
そんなアソビゴコロも昔は豊富だったなあ

まあこういった昔のスクーターの系譜が、今につながるわけです
製造は全部国外の台湾とかに行っちゃったけど
中身は進化したもんだね
今や原付のくせにECU積んで電子制御燃料噴射(FI)ですもの

でもなんつーか、そのFIが嫌なんだよねえ
なんか変な制御を入れてくれちゃってるというか
日によって調子が違うんだよねえ

最近分かってきたんだけど
最初乗って走行してから、一旦すきややコンビニとかで止まった後
暖まってるエンジンを再始動すると、調子悪くなる時がある
回転が重くなって、5~6千rpmあたりのトルクの谷が大きくなって
登り坂全然登らなくなる

もう何をしてくれてんだか、ほっといてくれよ!
というのが正直なところ

何も介入がない、昔の素朴なキャブ車の方が好きです
自分のコントロールが全て、という感じのね
パッソルを知ってる古い人間ですから笑

夜は銀河アリーナスケートへ
すいすい滑れるようになると
これがバイクと同じで気分そう快なんだよねえ
こちらは何の介入もない、本当にピュアな走りです笑

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