さて、なぜかいじって楽しい原付二種(51~125cc)スクーターですが
その生い立ちはどう歩んできたのでしょう?
どうもあまりにもマイナーな世界なので
ウィキペディアもほぼシカトだし
Webで記載する人もほとんどいないですね
原付の50ccスクーターの世界がパッソルから始まったのは
その後(どうも30年前の1982年頃だね)私が16歳の頃に
スズキ・ジェンマ125や、リード125が出て
原付二種スクーターの歴史が始まった
当時まだ原付二種スクーターは
「オッサン」の乗り物だった
(いま私もオッサンだけど笑)
ジェンマ125もマイルドで
確か普通のVベルトじゃなくて
遠心クラッチで3速自動変速で走ってた気がする
(うそだったらごめん)
確か当時行きつけのバイク屋の旦那が
ジェンマ125は車体が全部鉄でできてて
そんじょそこらのプラスチックの安いスクーターとは違うんだ
というようなことを言っていたのを覚えている
(うそだったらごめん)
改造パーツもほとんどなく
地味なものだった
私は当時行きつけのバイク屋で2万円で買った
リード80に乗ってましたね
最高速が頑張って75で、かわいいものだった
他にもベルーガ80とか
スペイシー125とか(スーパーカーライト笑)
スポーティというよりはゴージャスなのが多かった
それに風穴を開けようとしたのは
先日も書いた水冷RZのようなトレイシー125だったが
速度も時代も早過ぎて誰も見向きもしなかった笑
私だけ、ちょろっと乗りましたが
改造パーツなんてのは皆無でした
今思うと、これにチャンバー入れたら
すごかっただろうなあ
事実上原付二種スクーターが
若者にも人気を博し始めたのは
20年の時を過ぎた2000年頃に登場した
グランドアクシス100からでした
台湾ヤマハで生産された車体を持ってくるという
販売方式の礎を作ったのもこのスクーターだった
2スト好きの私も期待を込めて買ったが
これの初期型が日本のマイルドな規制をくらって
てんで遅かった(ガクッ)
とにかくウエイトローラーが重過ぎて回転が上がらんのです
出足はJOG50に負ける始末
そこからです、私がスクーターチューンにハマったのは
当時グランドアクシスの特殊な18パイという大きさのウエイトローラーは
社外品がなくて重量を変えられなかった
そこで取った方策は「ウエイトローラーを3個抜く」でした
6個入ってるうち、均等に3つを抜くのです↓
(写真は現在乗ってるシグナスXの)
そうすると、重さは半分になります
これが激変してレーシングエンジンのようなレスポンスになって
出足からいきなりレッドゾーンで走るようになりました
ものすごい加速で出て行きましたが
ものすごい加速で出て行きましたが
反面軽過ぎてトルクパンチはなく、最高速は10km/hダウンの約75
その後はキタコのプーリーを入れました
15mmの一般的なウエイトローラーを使えるので
様々な重さも試してみましたが
つまるところ15mmというのは50cc用のローラーの大きさで
ちょっとグランドアクシス100の変速には役不足でした
その後マロッシのマルチバリエーターと言う
イタリア製のプーリーを入れました
(グランドアクシスはイタリアでRX100という名前で売っていた)
これが評判通りのいいプーリーで
専用の大型Wローラーを使い、ナイスな変速だった
つまるところミドルスクーターの改造は
日本よりもイタリアが進んでいたんですね
へたに急発進するとフロントが浮く位の
パフォーマンスがあった
へたに急発進するとフロントが浮く位の
パフォーマンスがあった
いいプーリーだったが
難点はプーリーボスにグリスを使わないタイプだったこと
普通純正のプーリーにはオイルシールが付いてて
グリスを溜め込んでボスの動きをスムーズにするのだが
(メンテナンスフリー)
マロッシは鉄と鉄のままプーリーがスライドして動く
機械精度が高かったのでそれでもガタが来ることなく使えていたが
さすがに3万kmちょっと使うとシリンダーピストンがかじったようになって
変速できなくなってしまった
一応ミッションケース開ける度にCRC556とか塗っていたのだが
それも付け焼刃だった
まあ改造パーツで3万km持てばいい方なのかな
で、もう一個またマロッシを買って、入れて走ってました
その後グランドアクシス100は約66,600kmのオーメンを持って
ピストンに穴が開き、ジ・エンドとなりました
会社の帰りロング直線を80程度で走行中
突然ボーンッとエンジンが暴発したと思ったら
その後一回エンジンがロックする素振りを見せた後
(焼き付いた時によく出る症状)
逆に惰性で何の負荷、エンブレもかからず空回りするようになった
脇に停めてセルを回してみたが
圧縮かからずドビューンとエンジン回ってたので
「あ、ピストン穴開いたな」と笑
その後家までの約12kmの道のりを3時間半かけて押して帰ったのは
今でも記憶に残っている
原付と言えど押して家に帰るとヘトヘトになるんだ
急な登り坂は、きっと押して登れないね
翌朝エンジン見ると
プラグの電極の間にピストンの破片が挟まってたので
溶けて穴が開いたというよりは
もう金属疲労で一気にピストンヘッドが割れた感じだ
2ストで毎回転爆発してるから6.6万km程度でも寿命なんだね
よく走りました・・
その後2006年にGTR125買った頃は
ちまたにシグナスXなどのかっこいいスクーターが
当たり前のようになっていて
若者も乗り、改造パーツも増えていった
2000年以降は若者もインターネットプロバイダ代だあ
携帯電話の月額使用料だあと、毎月の出費が増えていったので
自然と遊ぶバイクもダウンサイジングが進んで
経済的な二種スクが流行っていった、そんな気もします
外部環境的に市場が形成された例だと思う
ちょと寂しい気もするけど
全くバイク乗らなくなるよりは、原付二種でも乗ってくれた方がいいかなあ
台湾は逆に原付スクーターの世界がバイクの主力だからね
日本も気おくれする必要はありません
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