日曜は
昨日のツインリンクもてぎへ行ったAZ-1と変わり
ジムニーで東京・高田馬場のシチズンアイススケートへ
これの白い方の車ね↓
ハンドル軽っ(パワステ付き)
高速遅っ(車重がAZ-1より300kg重たい笑)
シチズンアイススケートに到着しました
なぜかテレビカメラがいっぱい構えてんだけど
まさか俺を撮りに来たの?
(何言ってんだお前)
うおっ突然、ぷ、プルシェンコ選手登場
ロシアの帝王、オリンピック金メダリスト
子供の選手が大喜び、自分が目指す選手だからね
ささやかなレッスン教室となりました
私は一人でいい汗かきました
今日のテーマは
「偉大なる失敗作」
今日はスケート行きがけに
20年前の「パルサーGTI-R」を見た(写真拝借)
この車、その頃私が乗ってた180SXと
エンジンが同じ名機SR20DETだったから一目置いてたけど
1600ccの車体に2,000ccターボをブチ込んだモンスターだった
今で言うダウンサイジング・ターボじゃないよ
オーバーサイジング・ターボ笑
超っ速だったけど、無理に詰め込んだのがたたって
信頼性・整備性に難あり、フロントヘビー過ぎ、熱凄すぎで
一般的に成功した車とは言えなかった
しかしその強烈なキャラは
俗に言う「記録には残らなかったが、記憶に残った」
最近パルサーの新型が出てホットモデルのニュースを見た時は
この車を思い出した
失敗作と言えばこの車もそうだ
手前みそだけど、AZ-1
鳴り物入りで登場したこの車
それとは裏腹に新車当時は全然売れなかったけど
売れなかった理由を細かく知りたい場合はここ(長げ~)↓
http://www.blueskyfuji.jp/cn22/About-AZ1.html
そういう「頑張ったけど、売れなかった」って車
なんかほっとけないんだよね
かくいうホンダの車やバイクだって
全部が全部成功したわけじゃない
何でも全部成功してたら神様だ笑
人間誰しも失敗だってある
そんな失敗車を
ホンダ・コレクションホールからピックアップしてみよう
(いやらしい~)
ホンダ・ビート
車じゃなくて、バイクであったんだよ、ビート
このバイク、50ccで7.2PSもの馬力を叩き出し
史上最速をうたって登場したものの
ご覧の、前衛的過ぎるスタイリングがたたって
ほとんど街中で見ることはありませんでした
しかし25年経った今でも
これを超えるスクーターはありません
最高出力的にも、スタイリング的にも・・
ホンダ・MVX250F
2ストローク250ccでV型3気筒という
特異な専用開発エンジンだった
裏を見通すと
ホンダは当時4ストロークに固執していて
後ろのヤマハRZ250やスズキRG250ガンマの後塵を浴びていたが
起死回生の一作として2ストロークに着手し
この3気筒を送り込んだ
が、技術的に2ストロークのノウハウについては
遅れを取っていたことをこのバイクで露呈するはめになった
2ストロークの熱量対策の技術力不足
(風の当たらない後方シリンダーが焼ける)
それから来る2ストオイル量の過多は
後方からのオイル飛散が悲惨だった(おいおい)
ホンダが信条を曲げてまで力を注ぎ込んだマシンは
販売的にも当時成功することはなかった
つまるところ
4ストに固執してたNR500レーサーマシンも
レースの結果としては成功することはなかった
「1シリンダー8バルブで、2ストロークに勝つ!」
自らいばらの道を選んだNRは、道半ばで力尽きることになる
当時NRに乗り
挫折を味わった元世界チャンプ片山敬済選手の苦悩は
ここのウィキに書いてあるね
今も昔も誰も成功したことのない8バルブエンジンは
ガラスの名機でした
四輪でのホンダ、というか本田宗一郎氏の信条は「空冷」
空冷にこだわった最後の車、あまり見たことないでしょう
ホンダ1300
「水冷だって最後は空気で冷やす。なら最初から空冷だ」
というような当時の発破がホールのパネルに書いてあった
すごい・・排気マニホールドまで空冷フィンが付いてる
空冷技術を結集したこん身の一作でしたが
以後ホンダは一般的な水冷に舵を切ることになる
ホンダのF1第3期(2000年代)も
一度も勝つことはなかった
過去の栄光とは程遠い結末となった
そのままリーマンショックで撤退することになる
・・とまあずらずら失敗作を書きましたが
それらを否定してるんじゃなくて
そういう成功しなかったモデルでも
挑戦したモデルはコレクションホールに
「名機」として飾られるわけです
だから、失敗を恐れずに挑戦することが
大事なんだろうね
全部が成功しなくても、芽が出るものもある
種をまくのを一切やめれば成功すらない
ってな感じかな
これからもどんどん夢破れた車を出してほしいね
失敗ばかりだと困るけど笑
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