2017年6月16日金曜日

車バイクレースの、スポンサーの重要性と変遷

今日は歯医者で歯の定期メンテ
リニューアルオープンしたての胡蝶蘭がきれい

バイクの定期点検も大事だけど

歯の定期点検も大事だよねえ
この歳になるといつ歯が無くなるか分かりません^^;)

ほんとに歯メンテできる歯医者さんってすごいですね

さて車バイクの世界

レースの世界では「観客」も大事ですけど

実は「スポンサー」も同じ位大切なのでしょう

お金が無いとマシンを開発したり参戦したりできません

いかにうまくスポンサーを獲得するか
裏方ではそこがキーとなってるんだと思う

今やレース参戦メーカも待ちの姿勢じゃなくて
異業種交流会など開いて様々なスポンサーを獲得する時代でしょうか

そんなスポンサーの変遷を少し調べてみました

もてぎのホンダ・コレクションホール

そういう視点で見ると、初期のレースはほとんどスポンサーがいない

まだスポンサーが支援するという文化が希薄だったようです

1982年頃のスペンサー選手が乗ったホンダ初の2ストGPマシンは
まだだいぶ独力で頑張ってたようです

徐々に、1985年頃になってからロスマンズのスポンサーが付き
バイクもロスマンズカラーになりました
1980年代中盤頃がスポンサー運営化したターニングポイントだったようです 

その後は御覧の通り、マルボロ、ハーベー、etc.
レースのスポンサーは無くてはならない存在となりました

スポンサーは実は1980年代、90年代までは
タバコのスポンサーが非常に多かったですね
あとは車バイク関連業種のオイルメーカとか(レプソル) 

ロッシ選手位になるとロッシカラーなんてのもありました^^)

車もまたしかり、カストロール、ペンズオイル
タバコの「外貨」と比べてオイルは「内需」のスポンサーといったところでしょうか笑 

車も初期のF1は

スポンサーという文化が無かったか
まだスポンサーを探し出せなかったか

自動車メーカ自身の懐で開発したようです

まあ内々には部品メーカから部品の提供はあったかもしれませんが

にしてもこれだけ自腹で開発してたんだからすごいですよね

やがてF1も後方のマシンのようにスポンサーが支援してくれるようになりました

車バイクのスポンサーになるとこういう博物館で永遠にロゴが残りますね^^)

ウイリアムズホンダ、キヤノンも頑張ってました

キャメルホンダ、マルボロマクラレーン

ほんとにタバコとの蜜月は長かったです

やがて車バイクのスポンサーに転機が訪れます
ラッキーストライクを最後に「タバコ広告の禁止化」

時代はタバコの存在を「否」としました

ある意味レースの世界で暗黒時代が始まったのはこの頃です

多大なタバコ産業からの支援が無くなったため
新たなスポンサー筋をみつける必要が出てきました
そうそう簡単にみつかる話ではありませんでした

スポンサー全盛期は我々の市販車もスポンサーカラーがかっこよかった

スポンサーがいなくなってから、いかにスポンサーが大事か分かった

タバコも、バイクも共に「嗜好品」

仲の良かった関係も、時代は環境エコロジーへ
タバコもバイクも煙をまき散らす存在は肩身が狭くなりました 

いっぷう変わったスポンサーもありますね
コンビニのAMPM、電気通信の沖電気工業

DHLなどの航空運輸業もスポンサーに頑張ってますね
世界的な企業は世界転戦するF1がCMに有効です

この変遷が象徴的ですね、タバコから・・

ホンダのエコロジーブランド「Earth Dreams」

ホンダの新しいコンセプトをアピールする場となりましたが
同時に胸中はスポンサー無くしてレース運営の難しさを痛感したのでは

その後ホンダのF1は撤退、復活、不調を繰り返しています

ヤマハのコミュニケーションプラザも覗いてみましょう~
当時の実態保存のすごいマシン

やはり初期のYZR500(1975年)はスポンサーが少なかったようです

ある意味純粋に、自分達の力、方針でレースに臨んでいました

やがてレースが成長し競争が激しくなると
やはりスポンサーの登場です
資生堂の男性化粧品、テックツーワンカラーとか 

タバコ、やはりどれも嗜好品ですね

近年はメインスポンサーがいないからか
自社のワークスカラーに各々のスポンサーステッカーみたくなってます

このヤマハのレース展示が、スポンサーの変遷が分かりやすいですね

前列のレース初期はスポンサーカラーはありませんが

ある時から

それはスポンサーカラーへと変わっていきます
あんたよく写真持ってるね^^;)

スズキの歴史館も覗いてみましょう~笑
どうやらスズキは1983年に早くもハーベーのスポンサーカラーが登場します 

これはね、1980年のRGB500と書いてあります、スポンサー化が早いですね
ナバのヘルメットだよ、懐かしい~^^) 

後年は御覧の通り、もうスポンサー無くして語れません

これは1993年のシュワンツ選手のRGVガンマ500ですね
2ストローク、タバコ・・これが最も自由だった時代かもしれません

その後レースの世界はへこたれずスポンサーは
モビスター(通信企業かな)、モンスターやレッドブルなどのエナジードリンク企業が付いてくれてます

トリックスターさんも

アニメのエバンゲリオンカラーにして
コベルコ(神戸製鋼)などとコラボってます! 

それを原資になんと世界耐久選手権に出場してます!

トリックスターさんのスポンサー事例が

現代のレース運営の成功事例ですね

世界転戦、応援してます!

2 件のコメント:

  1. 私も実は若いころ、現所属会社で、当時で言う「N1耐久レース」現「スーパー耐久」に参戦していました。
    当然最初スポンサーもほとんどなく、白地に自社の社名のカラーで走らせていましたが、その後、某有名マフラーメーカーのスポンサードを受けられるようになり、黒と黄色の派手なカラーリングで走らせられるようになりました。
    そんなスポンサーですが、当時やっていて一番思っていたことが、タイヤメーカーのスポンサードをどの位置で受けられるかが、勝敗に大きくかかわっていましたね。F1見たく、タイヤワンメイクなら差はないのでしようが、それがないレースはタイヤメーカー同士の戦いの場でもありますから、スポンサーに付いてくれて、只タイヤを供給してもらえるだけなのか、開発も含めてのスポンサードなのかで、タイムや勝敗に大きく影響してました。
    タイヤ供給のみのスポンサードの時あった話なのですが、そのタイヤメーカーのワークス体制の車両がトラブルでリタイヤしてしまったとき、通常では供給されないスペシャルコンパウンドのタイヤが私たちのほうの車に回ってきて、「これを使って勝ように・・・」と、支持が来ました。
    こんなタイヤが存在するから、トップチームには敵わないんだなって、この時痛感しましたね。
    チームやメーカーを超えたいろいろな形で、一つのレースの中にいろいろなレースが混じっているんだなって、若い私は思い知らされましたね。

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    1. こ、これは貴重な経験ですね!
      確かに昨今のモトGPを見ても、タイヤが勝敗の分け目みたくなってますよね。
      タイヤが重要と共に、レースのスポンサーの話でだいぶいけそうですね!^^)

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