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2019/12/07

昭和回顧)なんでRG250ガンマのフルカウルは認可されたの?

今朝は寒さ大したことなかったので
一発でエンジンかかったよ! 

帰りは女性だらけの忘年会に潜入成功
久々 

高いもの

食べました!

いつも高速PAのシューマイ定食だったからね^^;)、よかったじゃん

もう世の中はクリスマスだ

明日土曜のゴルフは雪降りそうなので中止になった

モトチャンプ発売日だ!買い

さていま米中のファーウェイ排除問題で貿易摩擦が発生してますが
半ば独禁法の「不当排除」に近いこの仕打ちは
なにもそんなにいがみ合わなくてもいいんじゃないかと思いますが

こと日本の二輪業界ではこの「貿易摩擦」が
いい方向に働いた面もあるんですね

日本の暗黒時代「限定解除免許時代」(1975~1996年)
半ば独禁法の「優越的地位の乱用」に近い強制的な法律で 

日本で大型二輪免許はほぼ取得することができなかった
そんな無謀な法律でも国内メーカは国に意見を言うことは無かった
たとえ自社のナナハンが免許のせいで売れなくても

通産省は車両の形式認可も行う実権を握っているため(海外車両を除く)
国内メーカは盾突くことは無かった
またもし日本の身内から言っても法律は変わらなかっただろう

これが大きく動いたのが「黒船来襲」
米国のハーレーが「そんな免許制度では日本でハーレーが売れない」と貿易摩擦問題をちらつかせ、日本政府に圧力をかけると 

司法試験より難しい日本の限定解除試験は、あっさり廃止され
教習所で大型二輪免許が楽々取得できるようになった 

こういう時は身内から言うより、外部から言ってもらった方がいいんです笑

大型二輪免許の取得が楽になっても、特に事故が増えることもなく
落とすための厳しい限定解除試験は意味がないことが分かった 

これは貿易摩擦で二輪の環境がいい方向に動いた例ですね

もう一つ、1983年の初代RG250ガンマは初の国内フルカウル認可車となったが
なんで国は方針を変え認可したのだろう?

前回のカタナではだめだったのに
(セパハンとスクリーンは国内750カタナで外された)
と思った

時代背景を調べると

世界的オイルショックと公害問題の後
いち早く米のマスキー法に対応した日本のCVCCシビックが 

米国で売れに売れたんですね
排ガスもきれいで燃費もよい 

この頃から日本車は躍進をはかり、米国の貿易赤字問題の脅威となった

今の米中貿易摩擦問題のように
激しい日米貿易摩擦が起きた 

日本は何とか米国の矛先を収めようと、アメ車の日本輸入拡大を試みるが

この時日本の法律は世界標準でなく「フェンダーミラー」強制だった
https://www.kure.com/column/detail.php?id=197

国内のフェアレディZ432もフェンダーミラーだった

海外ではドアミラーなのに

当時は

全部

フェンダーミラー

これが貿易摩擦の非関税障壁となったため

国は1983年に法律を変え、日本でもドアミラーOKとした
やっぱり外の人間から言われるとすぐ変わるんだ笑

確かAE86の頃が最初のドアミラー認可車の時代です
初期はドアミラーが折り畳みませんでした(固定)

この時に日本のバイク、1983年のRG250ガンマも、国際標準に合わせ
セパレートハンドルと 

カウルが認可された可能性があります
発端は貿易摩擦による世界標準への機運の高まり 

このスズキ歴史館のガンマ、新車なんだよね笑
二輪も貿易摩擦をはらんでたしね

海外はもうフルカウルのバイクが走ってたし

国内のバイクが世界標準と合ってないことは確かだった

まあ外車であればフルカウルでも日本に輸入できたし、日本で走れたけどね

国産の輸出向けフルカウル車は、国内でカウル規制に抵触するのか?
抵触を避けるため、あえてこれらは「逆輸入車」と称された

ということでカウル規制撤廃は、日米貿易摩擦の影響
限定解除廃止も貿易摩擦、と、二輪の世界に大きく寄与したんじゃないでしょうか~

もし貿易摩擦が無かったら、今でも限定解除試験が残ってたかもね笑(いやーっ!)

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