ページ

2010/03/10

へんてこ その20 ~ヴィークロスからボディワーク~

いすゞのマニアックな車で
ヴィークロスというRVがありました

・・最近の若者
いすゞが乗用車作ってたこと
知らなかったりして(^ ^;)

俺で言う昔日野自動車って
乗用車作ってたらしいよ
あ、あれあれ日野コンテッサ、すげー
と同じノリ位かも

私神奈川の湘南台の近くに住んでるので
ここはいすゞの本拠地
今でもいすゞの乗用車結構生息してます

ヴィークロスはこれ↓

元は普通のビッグホーンベースだが
この斬新なボディデザインが気に入った
・・私に気に入られると
だいたい売れないんだけど(^ ^;)

自販連の統計によると国内登録台数は
1997年:1,076台
1998年: 437台
1999年: 234台
----------
合計   1,747台
しか売れなかった超希少車
AZ-1の約4,000台よりも少ない

ウィキペディアによると
デザインは当時いすゞのデザイナー
中村史郎氏が絡んでたようだ
(今は日産で有名な方)

なになに
いすゞ117クーペの
ハンドメイド部隊も絡んでたの?

117クーペ・・往年の名車です
ハンドメイドが売りだった車
(諸事情もあったようですが)
ドラマ不毛地帯にもフィクションで出てきました

私の親戚のお兄ちゃんがいすゞですが
当時ジウジアーロデザインの
トランクフードパネルの曲線は
プレス機じゃ表現できなくて
トランク専門の板金の職人おっちゃんが
ラインで待機してたんだと
たま~に117流れてくると
やおらおっちゃん動き出して
トンテンカントンテンカン
1台ずつ叩き出しやってたんだって
へぇ
今となっては逸話です

昔はそういうメカのこだわりというか
機械美があったように思うな
今の自動車にはほとんどないでしょう

ボディワークによる価値創造で
象徴的なのがこの車↓

バブル狂乱の真っ只中(1989年)
鬼のようなプレミア価格を誇った
その価格数千万から1億とも
・・中身はただの日産レパードなのにね(失礼^ ^;)

山下町の綺麗なショールームに
飾ってあったっけ..
今と違い飲めや歌えや大騒ぎの時代
今となっては懐かしいです

もう1つボディワークで覚えてるのが
同じく1990年頃
東神奈川の中古屋で売ってたんだけど
ジムニーのリフトアップに
ミニのボディ載せてたの
売ってたんだよな~

ジムニーは今もそうですけど
ラダーフレームにボディの箱載ってるだけなので
ボディを換えようと思えば
換えられちゃうようです
うまく職人が加工すれば
似たようなサイズのミニのボディが
載せられるようです

当時ミニに乗ってて
なん~じゃあれは!?と目が点になったが
まあそれほどジムニーに興味はなかったので
流していたが
・・ジムニー乗ってる今すんげー気になる(^ ^;)

もう一度お目にかかりたいですね

0 件のコメント:

コメントを投稿