ページ

2016/07/09

ホンダは2ストに何を思うか

あ、ジムニーのスーパースージーに私達が載ったようです!

3月にワイルドグースの面々と清里行った時のだ

現在エンジンとミッションフルO/H中のT田さん

サファリのK沼さん
この時知り合いました!

I瀬さんのもう1台の愛車、ランクル100改もレッツゴーに載った
ワイルドグースの面々は皆さん活発ですね!

あさって日曜にI瀬さんとS藤さんが山梨方面のすごい所に行くそうなので

私も撮影係で見てきます(私は恐いのでアタックしません笑)

さて平成の時代

今や原付スクーターも4ストロークエンジンですが
昭和の時代は2ストローク全盛でした

かくいう私も10代の頃は2スト派でした(RZ350)

しかし

もてぎの

ホンダ・コレクションホールへ

行くと

そこには

4ストロークマシンが所狭しとあります

もちろん2ストもなくはないですが

基本、太古の時代から

ホンダは4ストロークの歴史です

創業者・本田宗一郎氏のこだわりだったと言います
バルブを動かす高度なメカ、という自負があったのでしょう 

レジャーバイクももちろん4ストです

世間では2ストロークのハイパワーに移行しても(RZ250)

ホンダはかたくなに4ストロークを当ててきました(VT250F)

世界GPでさえ4ストロークで孤軍奮闘してました(NR500)

なぜそこまで4ストロークに固執していたのでしょう?

それはホンダの四輪の歴史にあるかもしれません

ホンダは前近代的な空冷にこだわるあまり
自動車ビジネスで会社が傾いた時がありました
空冷ファンのベルトが90度ねじれるすごい構造・・

そんなホンダを救ったのは「CVCCシビック」
アメリカの厳しい排ガス規制・マスキー法に唯一対応し
爆発的ヒットとなりました

このように4ストによる環境対応を売りにしたため
2ストロークの煙たいバイクなど出せなかったんじゃないでしょうか

「ホンダの根負け」

しかしヤマハが2ストで簡便なパッソルを安く出すやいなや
空前の大ヒット

ホンダもHY戦争で勝つためには
2ストロークに着手するしかありませんでした

ホンダ・スカイ
https://www.youtube.com/watch?v=VgnfAxMxEIM
スカイは私が16歳になって初めて買ったバイクでもあり
ホンダの初めての2ストローク市販車だったかもしれません

250ccの世界も2スト・キングのRG250ガンマの前では

ホンダも2ストロークスポーツの開発を開始することとなる(MVX250F)
これがオイルビチビチで環境対応などもぬけのからになってしまいました

しかしホンダは2ストロークも改良を続け(NS250F)

NSR250Rで2ストローク250ccの頂点を獲りました

レースの世界でも、2ストローク勢に甘んじていたホンダは

 やはり2ストロークに参入したGP500マシンで頂上を制覇しました(NSR500)

しかしホンダは本心でそれをうれしかったでしょうか?

今にして思うと、それは微妙だったかもしれません

「バブル崩壊の序章」

時代はイケイケの世界が終わり、省エネルギーの時代に突入していきました

くしくも、ホンダが毛嫌いしていた2ストロークは時代をクリアすることができず
絶滅していくこととなります

たぶんこれがホンダが最後に出した市販2ストシリーズかな
ホンダCRM250R(1989~1997年)

私も、よくよく考えるとこのホンダの最後の2ストも立ち会うこととなりました
(CRM250R 1993モデル)

ホンダがもし根負けせず、4ストだけをずっと作り続けていたら
どんなバイクの世界になっていたでしょう?

例えば今頃1気筒8バルブのスポーツバイクがかっ歩していたとか
全然違う世界になっていたかもしれません

ま、よもやま話ですが

ホンダの心は、本当はこのバイクにあるのかもしれません
(空冷4ストのCB1100)

このバイクも空冷4ストだよ!(メッキゴリラ 1979モデル)

0 件のコメント:

コメントを投稿