2012/04/18

良性の幼児体験

さて、車バイクは私の大好きな趣味の一つですが
素朴に、何で好きになったんだろう?
理屈でなく、物心付いた頃から本当に好きだったのです笑
その私に影響を与えたものは何だったのか、振り返ってみると・・

雑誌
小学1~2年の頃、親父の中古車雑誌を自転車のカゴに入れて走り回り
駐車している車をみつけては「あれは○○という名前の車だな」と調べていた
何が楽しかったのだろう?笑

親父がバイク乗りだった
同じく美幌町にいた~小学2年の頃、家にはカブ70があり
ステップに足の届かない私をチョコンと後ろに乗せて走り回ってくれた
実は楽しかった

レース
同じく小学1~2年の頃、親父が「あのランサーはラリーですごいんだぞ」と
言っていたのを覚えていて、私の中では初代ランサーは別格だった
小学1~2年の頭の中で笑

同じく小学1~2年の頃、私がねだったわけでもないが
普段は何も買ってくれない親父が車の豪華な本を買ってくれて
確かモーターマガジン社の「世界の自動車・1974年版」だっと思うが
それを毎日穴が開くほど眺めていた

スーパーカー
その世界の自動車に載っていたのがその後大ブームとなるスーパーカー
私の一番のお気に入りは、カウンタックでもフェラーリ365BBでもなく
昔からひねた子供で人と違ったものを好きになった笑
特にリヤビューの太いタイヤがかっこよくてねえ
最高速は確か280km/hと載っていて、カウンタック等の300km/hには
かなわないけど、まあ必要にして十分だろうと子供心に思っていた笑

模型
美幌町のおもちゃ屋のショーウインドウに大きなムスタング・マッハ1の
プラモデルの箱が飾ってあって、これはマジですごくほしかった
確か3,800円だったと思うが、厳格な父は結局最後まで買ってくれなかった
後日知合いの寮のお兄さんの部屋へ遊びに行ったらこれの作ったのが
飾ってあって、大人はいいな・・と思っていた

映画
初代「バニシングin60」(1974)ですよ
この激しいカースタントにゃ子供心に開いた口がアングリ状態の
衝撃的な内容だった

マンガ
マッハGoGoGo」など、車が主役級のマンガを楽しみに観ていた

大工屋の兄さん
家の近くにリフォームに来た兄さんがかわいがってくれて
愛車に乗せてくれた
今にして思うとこのB210サニークーペ
ホワイトレター入りの太いタイヤを履いてた
身なりもビシッとキメたかっこいい人だった

帯広の若者
小学3年で帯広に引っ越してきて
「カミナリ族」とか「暴走族」という言葉が生まれた頃だったんだと思う
帯広市内の夜はリーゼントでビシッとキメたお兄さんの
ケンメリやハコスカであふれていた
今でもこの時代の旧車が好きなのはこの時の記憶からだと思う

友人
自分では買ったことがなかったが
(あまりマンガは買ってくれなかった)
サーキットの狼の単行本を小学校の友人がよく貸してくれて
読んで、ハマった

中古車屋
小学校当時、北海道のド田舎ですから
ドイツ車なんて1台もありやせん
ある日中古車屋の宣伝カーとしてポルシェ911がやってきたら
十勝毎日新聞に記事が載ってしまうほど田舎だった笑
親父がそれを見て「トリプルチョークのキャブがすごいんだよ」と言っていたのを
今でも覚えている

父の勤め先の後輩
マイクロバスの運転手をしてくれて、私共を日甜社宅から小学校まで送ってくれた
釣りにも連れて行ってくれたんだけど、愛車が今にして思うとチェリーX-1R
港の車幅位しかない岸壁(突堤)を全開バックで駆け抜けた時は正直度肝を抜かれた
一歩間違ったら海の中だぜ・・それだけ運転に自信があったのでしょう
いや今の私はマネできない笑

最後に親父
私も大きくなり、16歳になってバイトして原付免許取って
ホンダ・スカイで走り回ってた時
「お前、ちゃんとバイク(中型)の免許取れ、きちんと教習受けて乗れ」
と言ってくれたのが親父
そう、この時高価なバイクの免許費用を捻出してくれたのも親父です
あ、ちなみに高校は進学校だったのでバイクの免許OKでした
(川和高校、人生のピークでした笑)

ということで、廻りの様々な車バイク活動の影響、そして身近な理解者・・
これが私を車バイク趣味に育ててくれたものかと思います

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